組織の合理化のポイント。

新型コロナ対策の自粛作戦には、とにかくムダが多いです。明解な規準や考え方が示されないと共に、その背景や理由が説明されないから、余計に曖昧な要請になってしまいます。これでは要請された方もどうしたらよいか分かりません。
ほとんど関係ないようなところでも自粛が半ば強要されたり、人によって解釈が違ったり。膨大なムダを抱えながら果たして経済は動かせるのでしょうか。

なかなか上手い施策が打ち出せないのは、政府の問題の他に、根本的にちゃんと理解して動けない人がどうしてもいるからです。それが社会というものですが。公共的などうしてもそこに規準を合わせざるを得ないため、基準を低くしないと全体で動けません。だからムダも多くなる。

有名な灘高(灘中)は、制服も校則もありません。そんなことをしなくても、各自がちゃんと考えて自己管理し節度をもって行動できるし、いちいち言わなくても自分で勝手に勉強するからです。そんな人ばかりだったら、自粛はすぐに解除できて、ウィルスとうまく共存できるのでしょう。

組織を合理的にするのは、そういう行動規範を明確にするという事がとても重要です。そのためには、組織が目指すところも明確にしなければいけない。そして、その行動規範(あるいは企業文化)にあった人を採用しなければ意味がありません。

グーグルでは、採用に当たってまず最初に優先させるのが「グーグルの文化に合っているかどうか」だそうです。

日本の遅れ方。

新型コロナウィルスの騒動で改めて露呈したのが、世界と比べた日本の遅れ方ではないでしょうか。
”必ずしも世界と同期することが良いとは限らない”という文化性を重んじる声も一部にあるでしょうが、経済の場面で考えれば、世界に遅れていることは、決して良いことではないと思います。文化性とはまた違う話です。

大きく分けて、国の対応と市民レベルの対応という2つの視点で見ると、国の対応はもはや説明するまでもなく、各国と比べてあまりにも遅く、また施策の目的や経緯が明解に説明されないため良く分からないという点も諸外国との差が激しいです。ドイツやニュージーランド、台湾などトップクラスの国の対応は、日本人が聞いても明解で分かりやすく、また迅速です。アメリカにしても日本よりはずっと早いです。

日本が遅い理由は複合的歴史的な背景がいろいろあるでしょうが、指導層の意識と知識、見識、そして国のインフラの未発達(これも意識や見識の低さから来るものですね。指導力と仕組みは一体です)。
今回マイナンバーカードが普及していないことも、対応の遅れの一因だと思いますが、導入時に反対運動が起きました。あれは結局、その目的や効用、経緯などが明解に説明されないため、不信感が生まれて反対意識につながります。なぜか、日本の施策はちゃんと説明がされません。今回でもほとんどの施策がその目的や背景が明解に説明されないために、的外れな議論が起こったり、ムダな議論が起こります。それが、また不信感を生みます。そうやって遅々として進まず、どんどん遅れていきます。

民間もテレワーク元年などと言われて盛り上がっています。仕方なくのテレワークでその効用に気づいたというところでしょうが、インターネットが普及して何年経っているのでしょうか。
我々の業界、特にWEB関係者は、ネットやPCのスキルが高いため、もう15年ほど前からSkype等で沿革で打ち合わせをしています。つまり15年前からツールとして現実的に使えるものであったと言うことです。
それに今年気づくというのは、あまりにも遅すぎるのではないでしょうか。
そもそも、経営者レベルの人がITに苦手意識があったり、慣習に甘んじる体質であったりするために、新しい事へ意識が向かないからだと思います。
現に早い企業では10年以上前からテレワーク的なことを導入し合理化されています。そういう企業にしてみたら、今頃何言っているんだと思っていることでしょう。

とにかく国も全体的な民間もあまりにも世界から遅れすぎていて、GAFAに勝てるか云々の次元にありません。
そういう体質の企業が、急に体質を変えられるかとうとそれはかなりハードルが高いでしょう。まず、経営者の意識が変わらない限り、無理だと言えます。社員がいくら頑張っても無理。経営者がちゃんと理解していない限り難しい。「ITは若い人に任せているんですよ」という会社も難しいでしょう。組織は、結局、リーダー次第なんです。

新たなる共有文化。

最近は、3Dプリンターがとても安価に成り、生活の中で使えるレベルになってきました。安いモノでは1万円台からあり、その性能もモノによっては使えるレベルだそうです。
とはいえ、3Dプリンターで出力するには、3Dのデータを作成しなければならないのでまだまだ一部ではありますが、コロナで面白い動きが出ています。

海外でドアノブを手で握らなくても開けられるアダプターのようなものを3Dプリンターで出力できるデータで無料公開(=ダウンロード化)している人がいます。
つまり、必要な人はそれをダウンロードして出力すれば自宅で利用できると言うことです。いろいろなノブに対応できるようにデザインを増やしているそうですが、これは新しい文化を生みそうです。

従来から無料で公開されている3Dデータはありましたが、趣味や業務の世界が主体でした。しかし、プリンタが一般に普及するにつれて、生活の中でつ買うモノをデータで共有するということができるようになったわけです。
例えば(今でもあるかも知れませんが)、ある家電製品のツマミが破損してしまってメーカーにももうなくて困っている時に、そのデータさえあれば、出力して部品が手に入ります。
逆にメーカーも3Dプリンターも持つことによってこういう顧客の要望に1個から対応可能になると言うことです。

これまでも平面データは、掲示物を共有したりチケットの配布に使ったりということがありましたが、立体物までをもデータ共有によって絵に入れることができるのは革命に近いかも知れません。
この先、3Dスキャナが普及すればさらに応用が広がるでしょう。

コロナ後の世の中-4 マーケット構造の変化

新型コロナウイルスへの対策は長期化すると言われています。自粛が徐々に解除されたとしても、元に戻った頃には、社会の産業構造がかなり変化しているのではないでしょうか。

インバウンドがコロナ以前のように戻るでしょうか。ITのリテラシーが高くなった消費者が以前のような買い方をするでしょうか。
自粛期に従来のムダに気づいた企業や消費者が、以前のようなニーズを形成するでしょうか。

コロナ対策の追い込まれた時期に、
1)早々にあきらめて廃業してしまった企業、
2)追い込まれるウチに倒産せざるをえなかった企業、
3)資金力等があったためになんとか耐えられた企業、
4)業種的に影響が少なかったために耐えることができた企業、
5)試行錯誤によって生き残った企業、
と大きく5つに分かれるかも知れません。

コロナ後に生き残ったのは、言うまでもなく3)4)5)です。
しかし、コロナ後に最も強いのは5)ではないでしょうか。
3)4)は、影響が少なかったために業態変化はしていません。コロナ後の産業構造の変化で、そのうちついていけなくなる危険性も孕んでいます。
例え今、3)や4)だとしても、常に状況をみて新しい動きに挑戦し5)の企業の体質になっておくことが必要だと思います。

インターネットの情報共有革命によって、すでに必要ではなくなっていたのに、慣習によって継続されていたことは、ことごとくなくなると思われます。例えば、いま、話題になっているハンコのシステム、ムダな会議、企業の人事等々、自粛期に「なくても実質的に困らない」ことに気づき、もっと合理的な「新しいやり方」に替えていく人や企業はとても多いと思います。5Gの時代になり、ただでさえ通信環境が飛躍的に向上します。

コロナ自粛と5G、そしてIT技術のさらなる進化、この3つの出来事が、社会と産業構造をこれまでないほどに変えていてしまうのではないでしょうか。
それは例えば、ブロックチェーン技術によって、通貨自体が変わる、銀行がなくなるというようなレベルのことが起こる可能性はとても高いと思います。デジタルマネーや通貨が発達すると、おそらく最終的にはひとつあれば良い、もしくは不要になるかも知れません。

現に、あちこちで報じられているように多くの銀行の業績が悪化しています。現在の経済構造と社会の成熟の中で、もう銀行という業態自体が機能しなくなってしまったのです。それは、日本の銀行という業態が慣習に縛られていたからです。かつては大学を出て就職する際には「安定した業種」の代表として銀行が存在していました。

多くの人が、仕事内容よりも安定を求めて銀行に行きました。そのようなマインドで日本の銀行は成り立っていたのです。それは、まだ経済や社会に伸びしろがあったために、構造的機能として銀行が存在していたからです。

安定を求めて仕事をする企業には変革も改革も起こりません。つまり、時代が変化しているにもかかわらず、業態が慣習として行われていたからです。

そういう体質の企業が、状況が変わったからといって、変革ができるものではありません。変革というもの自体が分からないからです。
銀行にも志をもって就職した人もいたはずです。しかし、前述のような体質の組織の中で、へたに志を持った人間は居づらくなり、外へ出てしまいます。そうやって、ますます安定志向の人ばかりが残った慣習的な体質のまま来たのが現状の結果です。
銀行だけでなく、このような体質の業種や企業はほかにもあると思います。

日本がGAFAに勝てない理由は、こういう体質が大きいと思います。体質というモノは、相当な期間がなければ変えられません。

運良く、コロナの影響が少ない企業も、これを機に体質改善や新しい事への挑戦を始めなければ、コロナを生き延びたのにコロナ後の変化について行けなくて倒れてしまうことにもなりかねません。

コロナ後の世の中-3 働き方の変化がもたらすもの

テレワークが普及するということは、通勤が減るということですね。鉄道会社は、人口減に加えてさらに乗客を失ってしまいます。鉄道を始めとする交通関係の会社は、輸送の在り方自体を変革していかないといけない時代なのかも知れません。自動車も自動運転になると、地域内交通みたいなものがフィットしますね。
大きな目で見ると、昼間も都心から郊外へ人が分散し、都会自体の状況が変わってくるのかも知れません。

都市部の昼間人口が減って近郊都市へ分散されると、防災の面でも良いのではないでしょうか。人口がバランス良く分布するということは、施設や機関のキャパシティや稼働率にムダがなくなり、経済効率も良くなるのではないでしょうか。

近郊都市に昼間でも人がいると言うことになれば、そこが発展してきます。ものごとは、バランスが良いということがもっとも効率がよくなります。経済の源泉である人が、バランス良く動くようになれば、社会全体が効率的に成り、現状の人口の偏りによる歪みがなくなり、余裕が生まれるのではないでしょうか。
AIロボットの普及と共に、人々の生活や心にも生まれて欲しいものです。

コロナ後の世の中-2 巣ごもり生活が呼び起こすこと

コロナ後の世の中-2 巣ごもり生活が呼び起こすこと

コロナ後と言っても、ナイフで切ったように自体が変わるわけではなく、様子を見ながら徐々に自粛を緩めていくことになるのだと思います。
巣ごもり生活ではなんといっても通信販売が要になります。巣ごもり生活も長期になってくると、不要不急ではないけれど、ストレス解消のためにも必要なモノ欲しいモノを買うことは、経済にも精神健康的にも大事だったりするでしょう。

すっかり普及している通販ではありますが、まだまだサービスの余地はあります。アマゾンのプライムワードローブのようなサービスなども一例ですね。そういう充実で通販利用が増えると、今までそういうものを買いに出かけていた時間を他の時間に使えるようになります。

今まで通販をあまり使わなかった人も通販の便利さや使い方が分かって、前より利用が増えるかも知れません。

そうなると、店頭にお客さんが復活しても店頭でただ商品を並べているだけのお店は、どんどん存在価値がなくなって来るかも知れません。もちろん、リアルの店舗で買う楽しさはなくならないので、お店がなくなることはないはずですが。

コロナ後の世の中-1

2020年4月22日現在、まだまだ収まる見通しが立たない新型コロナウィルスですが、今回の措置によって、周知のように世間の動きは、かつてないほど大きく変化しています。

 

1.在宅することによるテレワーク、巣ごもり生活
2.経済活動が停止することによる産業への影響
3.医療が逼迫する中での、医療や健康への意識
4.錯綜する情報の中での情報力や感情のケア

これらは、コロナ収束後にどのような変化を生むのでしょうか。

最も予測しやすい筆頭が、テレワークによる働き方の発見ではないでしょうか。

追い込まれるようにテレワークをすることになったことで、まず’テレワークに慣れてきたでしょうし、それによって通常の業務が予想外にテレワークでこなせることを発見したり。それによって、企業は現状よりも小さなオフィスでも良いことが分かったり、逆にテレワークに関するリテラシーについて行けない社員があぶりだされたり。

かつて、デジタルデバイドと言われていた、パソコンやネットに関するリテラシーの差は、今回大きくあぶりだされたのではないでしょうか。
オフィスに出社することで、ある面アナログ的にこなせていた業務が立ち

ゆかなくなります。

企業としては、合理的に効率良く業務を進めたいから、テレワーク的な業務体制をもっと進めたいワケで、その際に今までなら分からなかったリテラシーの大きな差が、企業活動を阻むことになってしまいます。

また、社会全体がテレワークになじむことで、企業のサービスもそれを前提としたものへシフト可能になります。

それらから派生して、新しい発想も生まれてくるでしょうし、5Gの到来と相まってインターネットの活用が一気に進みそうです。
その際に、デジタルデバイドによって置き去りにされる人(主に中高年か?)も出てくるかも知れません。

またZOOMやSkypeを使って、学校の授業やセミナー、インストラクションなどを行う動きも盛んです。現状では意外に気になる遅延も5Gになれば解消します。そうすると、リアルに戻らずに発展していくサービスもあるでしょう。

まさにインターネットの対面サービスが爆発的に拡大していくのではないでしょうか。

続く

商品レビューの信用性

WEBサイトの商品レビュー欄に故意に悪口を書くことが問題になっています。
Amazonなどでは、競合する業者が相手会社の商品を悪く書いたり、グルメサイトなどでは、ちょっとしたトラブルの腹いせに有りもしない話を書いたり・・・。

そういうものはごく一部のはずですが、そう言う面で、ネットのレビューというものは、ある程度のフィルターを通して見なければならないということです。
丹念に読むと、レビューのリアリティから真偽が推測できることが多いですが、問題なのは、そういうリテラシーがある人もいますが、ない人(意識していない人も含めて)も多いと言うことではないでしょうか。
素直にレビューを信じてしまう場合の方が多いのだと思います。

そういう悪意の書き込み以外でもネットの購入者レビューは基本的に誰が書いているかは分かりません。
初心者が書くのと熟練者が書くのでは感想が違うかも知れません。
それでもないよりある方が参考にはなるでしょう。

悪口ではなくても古くはコスメサイトで企業側がユーザーになりすまして自社製品を褒めると言うこともありましたし、タレントが金をもらってブログで褒めた製品が問題を起こしたり、サギ絡みだったり・・。

そういう面では、現物を手に取れる実店舗は、ネット販売にはない良さです。ただ、商品というのは店頭で手にとって分かるものばかりではありません。使ってみて初めて分かるものも多数あります。

そう考えると不確実性ばかりを気にしてしまいますが、どこまで行っても100%はあり得ないので、そういうある種バクチ的な要素も買い物の楽しみのひとつのはずです。

逆に考えると、Amazonの悪口レビューを見抜いて良い商品をゲットする快感というものもあるような気がします。

時代の予測と人間の法則

時代の変化が早くなっているというのはあちこちで言われますが、本当にどんどん速度を増していると感じます。
5年前に今ほどのスマホやネットサービス、キャッシュレスなどが予測できたでしょうか。
かつて経済成長の頃は、10年予測20年予測がなされ、大きくはそのようになってた部分があったでしょうが、それが次第にズレ始め、今では3年先の予測すらはずれます。
例え専門家であっても、誰も数年後のことも分からないのです。
アメリカのある調査では、専門家の予測は95%外れるという結果が出ています。
未来が不確実になると不安になります。何かに頼りたくて情報を探します。しかし、現実は誰も分からないわけですから、その情報もあてにならないわけです。
そういう時代だからこそ、まず自分で考え行動してみることが大事なのでしょう。

そのとき、留意したいのが、法則は変わらないことです。逆に言えば、変わらないのが法則です。人間という生き物は時代にくらべものにならないほど変化が遅いです。
そういう人間の法則やそれにまつわる物事の法則は変わりません。
価値を感じないことにはお金を払わないし、騙されたら怒ります。若手くれる人には好意を持ち、満足すれば喜びます。
それらの法則に忠実である限り、上手くいくはずなのです。

時代の変わり方。

世の中はいつも刻々と変わっているわけで、大きな節目ごとに「時代」という固まりとして認識されます。いろいろな視点からの「時代」があるので、それぞれに区分けやサイズも違うと思いますが、すべて感覚的なものです。
何かエポックメイキングな出来事をきっかけに世の中が何かの方向へ急激に向かい始めます。その出来事は、技術であったり政治であったり、事件であったり様々です。とはいえ、どの時代も基本的な社会の構造自体は、変わることがなく、決まった構造の上での変化でした。

しかし、約20年前にインターネットが普及しはじめ、ここ5年くらいでスマホが普及し、昔と何が一番変わったのかと言えば、いろいろなことが世界中で「共有」できるようになったことです。
以前なら、一部の人しか知れなかったこと、ブラックボックスになっていたことが、世界中で一瞬にして共有できるようになりました。
組織などが抑えようとしても、次第にその力が及ばなくなりつつあります。
要するに社会が「民主化」され始めていると言うことです。
ブロックチェーンという技術は、それをさらに流通にまで適用できるような技術で、それの応用が仮想通貨でもあります。
まだまだ投機的要素の強い仮想通貨ですが、安定した曉には、世界で初めての誰にも支配されない民主的な通貨になります。
一方で、今現在は、GAFAの力が誇大化し、人々にとっては、国よりも重要な存在にすらなりつつあります。各国よりも各国に利用者を持つAmazonやFacebookの方が、人々への影響力が強くなっています。

デジタル技術、ネット技術による変革は、社会の基本構造さえも変えつつあると言っても過言ではありません。

そういう意味で、今ほど時代が大きく変わろうとしている時代はないと言えるのかも知れません。