ムダが多い日本の組織。

生産性が低い、ムダが多いと言われる日本の企業。それがこのテレワークであぶり出されてきたと言われます。ひとりひとりがパソコンで個々に仕事をするという形態になると、仕事の分担をはっきりしないといけなくなります。
そこで、仕事の分担がはっきりしていなかったことに気づいたりします。

欧米は良くも悪くも個人間の線引きがはっきりしていると言われます。仕事についても「あなたは何をする人か」ということが問われて、仕事の区分けが明確にされ、同時に責任も明確になります。
日本は、その逆、まず責任の所在を不明瞭にしようとします。連帯責任と言えば聞こえは良いですが、みんなで責任というような意味の分からない感覚があります。
そのために、複数が同じような作業をしたり、あるいはそのために作業のコントロールがしにくくなったり、全体を把握しにくかったりします。
私どもが外部スタッフとして企業と関わる中でも、打ち合わせに数人でてこられて意見を言われたりしますが、何をしている人なのか、その案件ではどういう役割の人なのか分からない人がおられたりします。
また、業務を複数で担当していたりして、それは良いのですが、その複数の人の連携がうまくとれていなかったり。

外から見ているとムダが良く分かります。

結局ひと言で言えば、機能分化されていないということだと思います。組織ひとりひとりの機能が定義されていない。だから責任感も生まれなかったりします。

逆に言えば、自分が何をするべきかを明確に分かっていない人も結構おられます。また、業務内容とお金の連携が意識されていないこともあります。私どもにどんどん業務を依頼いただくのはよいのですが、それには費用が発生するということが、不思議ですが意識されていないこともあります。その辺は、誰かが処理してくれるという意識。

あるいは、話の段階がごちゃまぜになって、私どもがどこからどこまでを担当すれば良いのか分からない場合。依頼するご本人自身が、ご自身がどこまでやるべきかを意識されていない。

こういうことが氷山の一角だとすると、驚くほどのムダが社内を渦巻いているはずです。
そんなことで、これからの時代を生き抜けるはずがありません。
こういったことは、結局、経営者次第なのです。

社内を機能分化する。それだけで、ムダは大幅に減るはずです。

新型コロナ第二波、第三波の時に。

全国的に休業要請が解除されてきました。今回のことでは、働き方やオフィスの在り方など、様々な課題があぶりだされました。リモートワーク(テレワーク)やネットビジネスなど、あまり活用されていなかったインターネットツールが各企業のビジネスの標準として存在感を高めて、取り組みが始まっています。

新型コロナは第二波が予想されています。現在の情報から考えると、まず十中八九、秋〜冬にかけて起こりそうです。その時には、また自粛要請休業要請が出るかも知れません。そのときにどのように操業できるのかを想定しておくことが重要です。この先そういった流行の波の可能性は充分にあります。その度に右往左往していては、ビジネスがたちゆきません。ウチはネットは無縁だという業態の企業も、何らか取り込んで行く必要があります。そもそも、今の時代でネットは無縁ではありません。積極的に活用するという考えでなければ時代から取り残されてしまいます。

遅れていることより、知らない損。

新型コロナ自粛でデジタルデバイドが浮き彫りに成り、企業間でもその差が目立つようになりました。

遅れている企業は、遅れていることよりも、効率が上がる方法を使っていない損を気にするべきではないでしょうか。

インターネットの活用はこの先、避けて通れないものです。最先端を行く必要はまったくありませんが、すでに浸透して実質的にいろいろな企業が活用できている方法を使っていないということは、知らないがために効率の悪い方法を行っていると言うことです。
先日書いたニトリの社長の出張の例でもそうですが、社長が行かなくてもすんだ海外出張の費用は、旅費、そしてなにより社長の貴重な手間と時間をどれだけムダにしていたでしょうか。

すでに使える効率の良い方法を使っていないのは、遅れているかどうかより、時間と手間の大変な損失です。世の中で誰にも等しく有限なのが命と時間です。ITやネットを軽視するのは時間を軽視するのに等しいと言えます。

あまりにも効率が悪すぎる新型コロナ対策のガイドライン

行政から新型コロナ対策のガイドラインが示されていますが、その多くが実際問題として事業としての収益性を考えるとやっていけないレベルではないでしょうか。多くの人がそう思っているにもかかわらず、アクリル板の需要は増加しています。

専門家からも大袈裟すぎる、そこまでしなくても良いとの指摘もありますが、世間の空気がそれを許さないところがあります。

とにかくそれをしなくては事が進まないとやっていうる人もいれば、本当に感染を恐れてやっている人もいるでしょう。「正しく恐れる」とかなり前から言われていますが、現状は層はなっていません。過剰に恐れている状態ではないでしょうか。

行政からそのような過剰なガイドラインが出ている理由のひとつには、責任問題があるのでしょう。日本では何か起こると、その本質的な原因ではなくまず誰の責任かという話になります。そのため、逆効果で責任の所在が分かりにくかったり、責任か被らないような過剰な対策になったりします。現状のガイドラインは、0コンマ何分の1かの感染確率に対して、それをゼロに近づけるような対策です。あまりにも投資効率が悪すぎます。

営業店の方ももし感染源になると風評被害も含めて・・・・と思うから過剰な対策をせざるを得ません。

緊急事態宣言期間に自粛していたのは、感染者が爆発的に増えそうな状況で医療崩壊を防ぐためです。極端に言えば、感染を広げないことより、医療崩壊を防ぐことの方が大事だったからです。もちろん、感染拡大防止が医療崩壊も防ぐのですが。

感染者が爆発的に増えない、もしくは増えておらず、医療体制に余裕があれば、少々の感染者がでても対応できます。今(6月初旬)は、その状況になりつつある、あるいはなっていると言うことなので、緊急事態時とは少し違います。

感染者を出さないようにする事はもちろん重要ですが、その対策にどれだけの犠牲を強いるかという面で、現状は犠牲が大きすぎる状況になっています。
この状態は、続かないでしょう。劇場や飲食店が、4分の1の席数で収益が上がるはずがありません。アクリル板越しの接客などもいまは、ご祝儀で来てくれるお客さんも居ますが、そのうち減るでしょう。楽しくないからです。ほとんどの劇場や飲食店は、楽しさが売りです。そこを犠牲にして成立するはずがありません。
しかし、とはいえ、どうしようもない現状があります。だからといってそのままずるずる収益性のない状態を続けられるものでもありません。

いろいろな場面で、業態が変動しています。従来の営業形態は、様子を見ながら戻していく(いつかは戻るでしょう。しかしいつなのかは見えません)ことを考えながら、異なる商売のやり方も実行していかなければなりません。

オンラインを使ったやりかたは、やはり接触がないという面で、もっとも利用しやすい形態です。オンラインで売るだけでなく、情報提供によっても可能性が生まれるかも知れません。
オンライン利用になれてきた消費者は、以前よりも生活の意識の中にオンラインがあると思います。いままでオンラインでの取り組みがあまりされていない会社こそチャンスがあるかも知れません。

コロナ自粛の意外なメリット

コロナ自粛によってテレワークを余儀なくされて、社内だけでなく社外との打ち合わせもオンラインで行うようになりました。
その中で、便利だという以外に「失礼にならなくなった」というのがあるようです。

今までは、オンラインの打ち合わせで済むことでも、それをやると手を抜いているようで、ちゃんとお伺いしないとお客さまに失礼だというような意識があった。しかし、この度のことでオンラインに慣れたり、それでも充分事足りることが分かってそれがなくなったという事らしいのです。実に日本的な話ですが、実際それはあると思います。

今でこそ、ビジネスの連絡をメールで送るのは当たり前ですが、メールが登場した頃は、世間はメールで済ますのは失礼だという意識でした。
いまでも、まだ重要な話をメールで送るのは失礼だという意識はあるのではないでしょうか。

話は違いますが、TVでニトリの社長が、海外の工場との会議をオンラインで行って、それで十分なことが分かり、今までの海外出張はなんだったんだと思ったと話していましたが、そういう風に気づいている企業はとても多いと思います。

礼節を重んじるのは日本の良い文化ですが、事によりけりだと思います。ビジネスではやはり合理性が重要、ましてやグローバル化などということは、合理主義の進んだ海外との競争になるのですから、文化と合理性のバランスを考えるべきでしょう。

コロナ後の世の中-7 デジタルデバイド問題

テレワークの利点に改めて気づく企業はとても多いようです。コロナ後もテレワークを標準化すると表明している大手企業がでてきました。これからも増えるでしょう。そうなるとビジネスの形態が大きく変わっていきます。社会的にテレワークが標準化するということです。

うちは関係がないと考えている中小企業は要注意です。大手取引先から、打ち合わせはZOOMでといわれてすぐに対応できるでしょうか。また、いままで紙やディスク、FAXなどで渡していた書類やデータをすべてオンラインで送らなければいけなくなります。その体制があるでしょうか。動きのあるものは動画で撮影して編集して送るのがすぐに出来るでしょうか。

これからの世の中は、IT技術が社会を変えていくと言われています。好むと好まざるに関わらず、ITの見識を高めておくのは必須です。ITに関してただ「利用する」のと、特性や本質、傾向まで理解して「使う」のでは大きく違って来ます。ITの本領を発揮するのはもちろん後者です。前者は、ともすればエクセルをプリントして届けるというような本末転倒を生み出します。
あるいは、10万円給付金のオンライン申請が郵送より手間がかかるという事態を生み出します。
あのシステムをつくったエンジニアがそんなことを分からないはずはありません。それを指揮する人が分かっていないから、あのようなまるでコントかと思うようなナンセンスな事態になってしまいます。エンジニアや現場の人は、矛盾や憤りと戦いながら仕方なく指示された業務をこなしたのかも知れません。

重要なのは、リーダーが理解していることです。なにもプログラムを書けと言うことではありません。重要なのは何がどのようにできるのかです。そのためには、自分で勉強することもそうですが、現場の専門家の話をよく聞くことです。

管理職や支持層で専門家の話をいい加減にしか聞いていない人は以外に多いものです。「だいたい分かってるよ、オレは」という人に限って分かっていません。把握の仕方が大ざっぱすぎて、肝心のツボを把握していなかったりします。

いま、元気があり、可能性を秘めている企業のトップは、概ねITのことを良く把握している人ばかりです。GAFAは言うに及ばず、日本でも例えば元ZOZOタウンの前澤氏は、ZOZO初期の頃、仲間と一緒に本を買ってきて勉強してWEBを自分たちで作っていたと話していました。どこにでもあるものを仕入れて売っているだけのZOZOタウンが何故あそこまで大きくなったのかの重要なポイントが、サイトの見やすさ買いやすさです。自分たちでつくるようになった理由は、外注していていると思うようにならなかったからだそうです。
これはリーダーが、ITの特性を良く把握していたからに他なりません。派手なふるまいばかりが取り沙汰されますが、こういった地道な配慮がZOZOの躍進の原動力になっていました。

分からない事は、分かっている人に聞く。どんな物事でもこれが基本ですが、分かっていないのに分かっている人の話を聞かないために、デジタルデバイドを広げていることは多いのではないでしょうか。

コロナ後の世の中-6 都市部から人がいなくなる?

テレワークの有効性に気づいた企業は導入を広めます。働く人も出勤する頻度が減るにつれて、特に都心近くに住む必要ないんじゃない?と思うようになります。職住近接はもう過去の話になります。
そして、企業自体も都心である必要がなくなっていきます。
かつては、メディアがあるからという理由で東京へ集中しましたが、そのメディア自体の力も昔ほどの支配力がなくなっています。インターネットで企業自身が発信できるからです。これから企業自身の情報発信力も勝敗に大きく影響してくるでしょう。

このような流れで都市には人も企業も今ほど集中する必要がなくなります。近郊都市を中心に良い具合に生活機能が分散されていく。逆に大都市部の巨大施設は、縮小を余儀なくされるかも知れません。分散化に加えて人口減少。都市部と近郊都市のよすが一変して行くのかも知れません。

10年程前にある大手ビル会社の仕事をした際に、グループ傘下に新たにシステム会社をつくっていました。その理由を尋ねると将来的に都市部に人がいなくなることを想定して、都市のビルをデータセンターなどIT施設として衣替えさせるための布石だというようなお話しでした。その時点ではもちろん新型コロナ騒動など想定していなかったはずですが、今回の騒ぎがなかったとしても将来にはそのようになるとすでに予測しているわけですね。

現象の背景を考える。

国民全員に10万円配るという給付金の申請について物議を醸してます。オンライン申請がかえって面倒なことになているという本末転倒な事態。この理由とは別に、マイナンバーカードが普及していないという実態があります。もっぱら国民がさっさとマイナンバーカードを取得していないからだという話が主流で、個人情報に対する日本人の国民性ではないかという話になっています。
しかし、それは少し違うように思います。

そもそもマイナンバーカードを取得しない心情は、「これで便利になるのは分かるけど、逆に国に何をされるか分からない」という国への不信感が大きいと思います。それは、積み重ねられてきた政府と国民との関係性でそう思うのであって、ポイントは2つあります。

ひとつは、「何をされるか分からない」という心理のウラには「ウソをつかれてきた」ということがあると思います。そうでなければ、「何をされるか分からない」という心理は生まれません。

もうひとつは、ちゃんと説明しないことです。不思議なくらい日本の政府はちゃんと説明をしません。新型コロナ対策でも、こうしてください、こうします、というばかりで、何故そうするのか、そういう判断に至ったのかということがまったく説明されません。だから、施策の目的も解釈の仕方で異なり、的外れな議論もわき起こってきたりします。
ちゃんと説明しないということは、また「なにか隠しているのではなか?」という不信感を生み出します。

政府がウソをつかず言ったことは必ず実行し、実行できない場合はちゃんと説明してという風に国民と某かの信頼関係を築いてれば、マイナンバーカードもこぞって取得したでしょう。

これは、人間関係でも同じことであり、企業においてもまったく同じことです。
現象には必ずそうなる背景(理由・経緯)があります。漠然とした理由で片付けるのではなく、ちゃんとした本質的な背景を探求することが大切です。

それにしても、10万円給付金のオンライン申請が、郵送より手間がかかるとは、一体どのような考えでシステムを設計したのでしょうか。

情報化社会の意味。

情報化社会と言われて久しいですが、インターネットが普及した今は、まさに情報化社会化した社会だと言えます。
かつては、情報こそが価値があるという概念で情報化社会と言われましたが、いまは、誰でも情報が得られる、共有できる、つまり情報の市民化社会だと言えます。

例えば、かつては業界内の事情や価格情報などは、なかなか手にいれるのが大変でした。だから、近くのお店がもっぱらの情報源でそこに情報力の限界がありました。少し足を伸ばせばもっと安い店があったとしても、そこまでの労力が必要でした。しかし、いまはネットを叩けば全国どこでも一瞬のうちに分かります。

以前は、ブラックボックス化していて良く分からなかったこともいまでは、誰かが紹介していたりします。あるいはあばかれます。そのため、ブラックボックス化している部分を利用して(あるいはそれを良いことに)利益を得ていた会社は、苦しくなってきます。「なんだ、何もしていないのに利益だけとってるんだ」ということが分かるからです。
昔はそれでも「流通させている」ことに存在意義がありました。しかし、いまは、メーカーから直接購入できたりするため「流通させるだけ」では存在意義がなくなってしまったのです。

こういう図式がいろいろな分野で起こっています。
情報の共有が進んだために某かの価値を提供しなければ存在意味がないというのが今の情報化社会です。商品を流しているだけでは存在意味がないのです。

また、嘘もばれます。メーカーがどんなに過大に良いことを謳っても、販売サイトのレビュー欄、あるいは膨大なブログには、ユーザーよって実際問題どうなのかが書かれます。
そこで、メーカーの言うことと現実があまりにかけ離れているとメーカーは信用を失います。
情報発信も昔のように、消費者をうまくまるもこめるようなことを言うのではなく、正直に実質的な情報を発信することが必須になっています。

さらに、分野によってはいわゆる「ブランド力」も無力になりつつあります。実質的価値が優先される商品では、レビューによる品定めの前にブランド力は無力です。

いまの情報化社会は、情報に価値があるというだけでなく、その情報が正しいか、正直かということが問われます。
また、情報を操作すると言うことが難しくなってきているとも言えます。ヘタに情報操作したことがばれると、逆に信用を失います。
そして、今の時代、必ずばれます。

情報を発信するだけでなく、どのように発信するかが重要です。そのためにも、以前よりもさらに背景になる企業の考え方やスタンスの明解さが重要であると言えます。

コロナ後の世の中-5 生活様式の変化

「生活様式を変化させる」と言うことが言われています。この変化は大きいと思います。この変化は単に「コロナウィルスと共存していく」という目的だけでなく、テレワークや在宅することによる暮らしと意識の変化も相当多大な影響を人々に与えていくのではないでしょうか。それによって社会、マーケットが大きく変化して行きます。

コロナと共存するとうことは、つまり、「感染しない、移さない」ための行動を習慣化するということです。これは社会側の体制も必要です。店舗内での人の間隔、消毒、その他の仕組みなど。人の方は、マスク、3密の回避などの意識でしょう。
マスクに関しては、もうすっかり日常アイテムとして定着し、ファッション化し始めています。そのうち夏でも暑くないとか、機能商品も生まれてくるかも知れません。スタイルとしてマスク周辺アイテム(アクセサリーなどが登場していますが)も広がってくかも知れません。

コロナとの共存とは別に、在宅することで気づいたこと、生じたことなどでも新しい習慣が生まれてくるでしょう。
マイナスの話題としては、コロナ離婚などがありますが、在宅することによって気づいたマイナス面かも知れません。しかし、そこを改めて考えて新しい生活様式に変えていくことが必要なのだと思いますが。

また、長期自粛により、時間の使い方、あるいは、自分にやりたいことがないことなど、有り余る時間の価値について考えた人は、自分のすべきこと考えたり、やりたかったことに気づいたりして、新しいことを始めるということも多いのではないでしょうか。

そうすれば、ビジネス、ホビーその他の分野に新たなユーザーが生まれるはずです。
生活様式が変化すると言うことは、そこから生まれる現象は一時的なものではなく恒久的なものであるはずです。それに伴ってマーケットも変化し、産業構造自体が変化しかねないパラダイムシフトも生まれてくる可能性があります。