自己責任論。

ジャーナリストの安田さんの解放はとにかくよかったのひと言につきるのですが、いつも出てくる自己責任論。
僕も以前は、こういうジャーナリストの行動については、自己責任であり、国に迷惑を掛けるべきではないと考えていましたが、いろいろな意見を聞くと、そうとも言えないと考えるようになりました。
こういう人の行動があって初めて分かってくる情報があり、それはそれで貴重なものであるという意見に共感するからです。
ただし、ジャーナリストや支援活動の関係者がやむを得ず行く場合以外の、何でもない人が興味本位で彼の地へ行くのはやめるべきだと思います。これは自己責任の前に、自粛するべきと思います。騒動になること自体で迷惑がかかります。

自己責任論がわき起こるから、日本人の多くが責任についてシビアなのかと思えばそうではないと思います。
一般的な日本人の気質としての責任感覚は歪んでいるように思います。
自分で責任を負うことを嫌がるくせに、他人の責任は追及するところがあります。要は「自分に甘く、人に厳しい」です。

例えば、航空機事故が起こった時に、海外は「何故起きたのか」という原因に目が向くのに比べて、日本では「誰の責任なのか」にまず目が向くというようなことが、以前読んだ「マッハの恐怖」(柳田邦雄著:航空機事故のノンフィクション)に書いてありました。
つまり、誰が悪いのかということをとても気にする気質なのではないかと思います。逆に言えば、その当事者になりたくない。
これは、モリカケ問題を始めとする、政府の役人などの対応が象徴しています。悪者にされるのがとても怖い。何とかして、悪者にならないようにしようとするのが、あからさまです。「記憶にございません」という答弁は、その最たるものかも知れません。

そもそも、一般社会でも、自分が関わっている物事に於いて、自分の責任範囲、逆に言えば、自分は何をするべきポジションなのかということを明確に認識してる人は、極めて少ないのではないでしょうか。企業に於いてもです。
その背景には、組織の仕組み自体が明快になっていないという事もあると思います。それらは、時として良い影響を与えることもありますが、責任範囲はグレーなので、しばしばトラブルを引き起こします。
責任範囲をお互いが認識していないということは、信頼関係にも影響することのはずです。しかし、日本的な曖昧さが故に妙な信頼関係が生まれたりもします。明確にしない方がよい場合さえあります。つまり、そこをあまりシビアにやると「角が立つ」からです。やはりそうう文化だからなのでしょうか。

それに比べて外資系の企業は責任範囲を明確にします。契約社会、契約書、というのは、両者の義務と責任を明確に規定して、取引をするものだからです。
グローバルな文化が台頭してくると、日本人の意識も徐々に変わってくるのかも知れません。