真実を見極める目。

世の中には、まことしやかに意図的に流される情報や無意識にあるいは無頓着に(無責任に)流される間違った情報も多くあります。

同じ物事についてまったく相反する情報もあったりします。そうなるとどちらが正しいのかは自分で判断するしかありません。
あるいは情報そのものを一時的に判断できない場合、誰かの判断に頼らなければいけませんが、それを判断評価している人の話、つまりその人がその情報について信用できる人なのかどうかを判断する必要があります。それはつまるところ自分です。

ものごとは「水は低きに流れる」のが基本です、低きに流れていない場合、どこかにカラクリがあるわけです。やっかいなのは、低きに流れているかどうかも分からない時もあります。つまり、流れ出す場所と流れ着く場所が特定されていないときです。流れていると言うことだけがわかっていて、場所がわからない、そんな情報もあります。

例えば、何かが売れていると評判だという情報があるが、どこで誰に売れているのか、いつ売れているのかが分からない。漠然と売れているという情報がある場合。まず、それは本当なのか?と思います。どこからの情報なのか?なぜその周辺の情報がないのか?などと、つっこんでいけばいろいろ不明点が出てきます。

逆に、オフィス街でビジネスマンに売れているという事が分かったら、何故売れているのか?ビジネスマンと言ってもいろいろいる。どんなビジネスマンが何のために買っているのか。それが分かった時点で、なるほどと思う場合もあれば、え?なぜ?という場合もあります。そのように、その背景を詳しく詳しく追求していかなければ真実は見えません。

いかんせん、人間は先入観にとらわれて、なぜ?なに?を忘れがちです。

今、新型コロナの情報が毎日マスコミで流されていますが、よく考えるとおかしな事があります。
毎日天気予報のように「感染者数」が報じられ、それに一喜一憂して危険だとか第二波だとかという風に振り回されていますが、あの「感染者数」はまったく意味がない数字です。
なぜなら「検査数」が毎日異なるからです。全国比較にしても課調査数や調査条件もバラバラです。あれは単に「今日、分かった感染者数」でしかありません。つまり国民に対する比率も定量的な推移もまったく分からないものです(感染者数の中の死亡率には意味があります)。

それは、感染症の専門家も言っているし、例えば東京都の小池知事自身が「これは、検査数が増えたために増えた数字だ」と言っています。そんな数字を発表する意味があるのだろうかと思いますが、その数字に世間は一喜一憂しています。おかしくないでしょうか。一喜一憂する必要のない数字です。当初から、まったく意味のない数字だとTVで言い続けている専門家もいますが、おかしなことにその声はまったくとりあげられません。

これは、世間が「お上の言うことは正しい、うそがないはずだ」という先入観というか固定観念にしばられているため、その数字の根拠を疑おうとしないし、「これは、検査数が増えたために増えた数字でもある」という話も耳に入っていません。
疑いを向けるマスコミがいないことも不思議です。

また、新しい生活スタイルとして「マスクをしてソーシャルディスタンス」と提言されていますが、マスクをすればソーシャルディスタンスは必要ないはずです。なぜなら新型コロナは飛沫感染であり、空気感染ではないからです。またしゃべらない(つまりはツバを飛ばさない)のならマスクもソーシャルディスタンスも不要なはずで、これは感染症の専門家もそう言っているし、よく考えると小学生でも分かる理屈です。

しかし、世間はそこをうたがわず盲目的に「マスクをしてソーシャルディスタンス」を実行し、劇場や映画館、飲食店の経営をどんどん悪化させています。そもそもそんなことがお上から提言されること自体おかしいのですが、まったく非論理的(非科学的)な情報がまかり通っています。このまま行けば社会は破綻してしまうかも知れません。(余談ですが、その割りに何かというとエビデンスは?なんて裏付けを要求したりする人がいたりします)

このウイルスの沈静化は、専門家が口を揃えて数年かかると言っています。そんな長期にわたって劇場や映画館、飲食店が「マスクをしてソーシャルディスタンス」を続けて経営がなり立つわけがありません。そこも疑われません。
誰かに聞かなくても「マスクをしてソーシャルディスタンス」がおかしいことは理屈を考えると分かります。

なぜ、思考停止になってしまっているのでしょうか。分かっているけど無難にやりすごそうとするからでしょうか。それで済めば良いですが、実際老舗のブランドを始め多くの企業が破綻し始めています。
真実を見極めて、真実に従って行動しないととんでもない方向に舵を切ってしまいます。