有名人叩きの本質。

有名人、政治家やタレントの不祥事や暴言などで世間から叩かれるということが非常に多くなってきている。
不祥事を起こす方に問題はあるにせよ、度が過ぎているとの声も多い。そう思っている人は多いはずなのに、やはり何か起こると、これでもかと叩かれる。謝罪したらしたで、謝罪の仕方について細かいことまであげつらわれて叩かれる。大衆は他人、特に有名人には厳しいのだ。

そして、これらに共通する構図は、マスコミが報道して、それをネタに叩くという構図だ。ネットだけで流通するようなものもネットのニュースサイトなどで取り上げられる。マスコミの第一報がないと叩きようがない。そして、マスコミのその第一報が悪意に満ちた報道であることが多い。そのため、大衆は、その記事のムードに煽られて「けしからん」となる。
良く言われるように、マスコミの報道は決して客観的ではない。そもそも報道というのは、伝える側の意図が必ず入っている。それに、まんまと大衆は煽られる。よくマスコミは死んだとか言われるが、いやいや、マスコミはまだまだ影響力大だなと思う。
本来、大衆には何の迷惑もない不倫問題でさえ、細かいことまであげつらわれる。そういうムードに洗脳されている部分もあると思う。不倫についてさほど考えていないために、誰かが大きい声を上げると「そうだそうだ」と思う。その連鎖と拡大で自分もそう思うようになる。大衆とは、なんともろいものだろうか。こういったものは、大衆の、いや日本の大衆の本質なのだと思う。戦時中と何も変わっていないと思う。つまり、これからも変わらないのだとも思う。しかし、これは日本の怖さでもあるが良さでもあるはずなのだ。

もうひとつゴシップネタの本質としてやっかみがある。
「有名人=儲かっている」という先入観があるので、やっかみが起こり、ケチをつけたくなる心理。有名人なのだから、ちゃんとしろ。何の根拠もないが大衆はそう思う。叩いて叩いて、地位を引き下ろしたくなる。落とされたのを見て、自分たちとの差が少なくなったことで満足する。そのウラには、常々某か不満を抱えて暮らしている大衆心理があるはず。きっと、本当に毎日幸せを感じて暮らしている人は、その手のゴシップには無関心なのではないだろうか?
そう見ると、最近の度を越した有名人叩きは、社会的不満が以前よりも増している証だと言えるかもしれない。