日本人発想を点検する。

どこの民族でもあると思いますが、日本人にも日本独特の精神文化があり、時によって良くも悪くも働きます。特に合理的に判断しなければいけない場面で、日本人の良い面が足を引っぱる場合があります。

象徴的なできごとは、東北大震災での避難の仕方です。「津波てんでんご」と言われて、当時有名になりましたが、防災教育が浸透していたある小学校で99%の生徒が助かりました。そこでは、日本人精神とは少し反する考え方が説かれます。原則として津波が来たらとにかく他人のことは放っておいて、まず自分が逃げよということです。てんでんごというのは各自めいめいにという意味です。まず自分が助かることをしないと、助かる命も助からないということです。ある小学生は、隣の家におばあちゃんが住んでいて、そのお婆ちゃんと一緒に逃げようとお婆ちゃんを助けにいって2人とも津波にのまれてしまいました。
「他人の事は放っておいて、まず自分が助かるように」というのは、日本的に考えると非道徳です。どうしても、身近な人を置いて自分が先に逃げようとは思えません。しかし、災害はそんなことに考慮はしてくれません。合理的に考えると、命をかけて時間を争っているときに他人のために時間を割くというのは非常にリスクがあります。

もっと身近な例では、アマゾンの物流倉庫の商品の保管方法が日本人発想と逆を行っています。
アマゾンでは入荷した商品は、所在のデータと共に「その辺」に置かれます。つまり同じ商品でもバラバラに置いてあるわけです。しかし、所在は分かっているので、注文があればピックアップされます。
日本人発想なら「出荷しやすいように分かりやすく棚に並べる」と考えそうですが、そのために作業が発生します。
要するに、アマゾンは「入荷した商品を、分類して系統立てて分かりやすいように棚に並べる」という作業は無駄だというわけです。入荷してから出荷するまでしか棚に置かない商品に「所定の場所に並べる」作業はできるだけ内容が良い。入荷した商品はできるだけ早く出荷して欲しいわけですから、早くなればなるほど「並べる」作業には意味がなくなります。また、所在をデータで管理すると言うことは、データベース上で並んでいるので、そこで管理できるわけです。
アマゾンのやり方は全体としてものごとの本質的な合理性を考えています。
日本人は合理的な考え方が苦手だと言われます、近視眼的になったり感情が入ったりして、本来の目的が見えなくなってしまいます。
なにかの作業を考えるときには、日本人的発想をしていないか点検してみると気付くことがあるかも知れません。