施策ありき、戦術ありきの検証。

施策や戦術というものは、何かの目的を達成するためにやるものであり、それが目的になることはおかしいのですが、しばしばそういうことは起こります。
具体的に言えば、SNSをやろう、アプリを作ろう、イベントをやろう、Youtubeを始めよう・・・・それが目的になってしまうと、やるのはやる、さて中身は?というおかしな事になってしまうのですが、それに気がつかず中身を決める会議を開く。
その会議では、「何を目的にやりますかね?」というような滑稽な話になったりします。コントではなくて、似たような会議に遭遇したことが何度かあります。

目的と手段ということがちゃんと認識されていないのではないでしょうか。他社はSNSを始めている我々も。あるいはアプリをうまく使った成功事例を聞いて、アプリだ!と考えたり・・・。それぞれの成功事例には必ず流れがあって目的を達成する手段としてアプリやSNSを上手く使ったはずなのですが、その目新しいところや見えるところだけに目が行ってしまっているのでしょう。

こういう分かりやすい例だけでなく、世の中のことでも何のためにやっているのか分からないような場面はしばしばあります。目的が分かる仕様や内容になっていないからです。そういう場合は、途中で目的が曖昧になって来たのかも知れません。

前述の新しい手段だけでなく、長年慣習のように行われている施策なども環境が変わって意味が薄くなっているかも知れません。その施策の目的を他人にちゃんと説明できるでしょうか?人への説明を考えると目的が曖昧さが見えてきます。

少なくとも手段を講じるときには、関係者に対して目的と内容を理路整然と説明できなくては嘘です。目的が明確なら手段の内容や仕様も子細に説明できるはずなのです。
それらがちゃんと説明できないなら、目的や企画が曖昧になっていると言えます。