意義と現場の違い。振り返り。

開催について賛否両論ある中でオリンピックが開幕しました。開幕したからには、最善の状態で成功して欲しいと思います。
やるべきだったかどうかは、あとで議論すればよいと思います。また、例え大成功に終わったとしても、やるべきであったかどうか、やり方の問題点は同価とか、振り返りの議論はやるべきです。成功したから結果オーライにしてしまうと、この1年のすったもんだや、現場で頑張った人達の苦労が報われません。

組織委員会周辺の実行部隊の参謀の不備ややり方については、大いに議論されるべき点があると思いますが、選手や現場で運営に携わっている人達は、精一杯頑張っておられるだろうし、罪はないと思います。
上で決まったことをちゃんとやるのが現場の使命だし、選手はもちろんこれまで人生をかけて鍛錬してきた結果を競うワケですから、手を抜くわけがありません。
だから、選手や現場の人に何かを問うのは、間違っていると思います。
問われるのは開催参謀です。

選手や現場は、たくさんの感動を生み出してくれると思いますが、それと開催や運営についての議論は、また別です。議論の末に仮に、やっぱり開催すべきでなかったということになっても、現場の人達の活躍が否定されることはあってはならないと思います。そのあたりをまぜこぜに考えてしまう傾向も大きいのではないでしょうか。

以前から開催の理由のひとつとして「選手ファースト」も叫ばれていましたが、それを開催理由にしてはいけないと思います。
「選手ファーストだから開催する」のではなく「開催するなら選手ファースト」であるべきです。
コロナで、人生を狂わされたのは、オリンピック選手だけではありません。オリンピックと高校野球では話が違うという見方もあるようですが、違わないと思います。スポーツだけでなく、エンターテイメントや事業や学校など、いろいろな場面で人生を狂わされてしまった人は、たくさんいます。オリンピック選手だけが特別なわけはありません。
「選手ファースト」だから開催するとする人達は、強引に理由付けをしているだけで、そのこと自体も良いこととは思えません。うまく利用しているだけで、決して「選手ファースト」な考えではないと思います。

かつては、アマチュアしか参加できなかったオリンピックが、プロも参加するようになり、経済主導になったことで世界中でオリンピック自体の意義が問われています。今一度、オリンピックはどうあるべきかということを再定義する時期なのかもしれません。