他人のふり見て、寛容になる。

マスクをせずにあるいていた男性に注意した65歳の男性が、注意されて怒った男性に乱暴をされて半身不随になったというニュースがありました。
この例に象徴されるように、今の日本には、とにかく人が許せない空気が蔓延しています。

マスクの是非はさておいて、65歳の男性は他人に注意するほどの立場でもないだろうし、そもそもそれが注意すべき事だったのかという点があります。マスクの効果というのは諸説ありますが、未だに科学的に決定的な説はなく、どれも推測に過ぎません。厚労省の見解でも外では2m以上離れていればマスクをしなくて良いとしています。このケースがそれにあてはまるかどうかは知りませんが、他人に注意しなくてはいけないほどの状況だったようには報じられていません。

一方の乱暴した男性。この男性に前述のような見識があったかどうかは分かりませんが、注意されたことに腹を立てて乱暴をしたように報じられています。この男性も、例え筋違いな注意だったとしても半身不随になるほどの乱暴を加えるほどの事ではなさそうです。もちろん、そんな結果にする気はなく、結果的にそうなってしまったということだとは思いますが。

いずれも、程度の差こそあれ、双方に行きすぎがあるように思えます。
しかし、両名が、冷静に考えると「そんなことをするほどのことでもなかった」と思うかどうかは不明です。
冷静に考えても「彼には注意すべきだった」と考えるかも知れませんし注意された方は「その認識が間違っていることを知らしめる必要があった」と思うかも知れません。
べきでなかったと思うかべきだったと思うかの違いは、心の余裕なのではないでしょうか。
例え相手が間違っていると思っても、それが自分への危険や実害が及ぶものでなければ、そういう人もいるあるいはそう言うこともあると思えないのは、自分自身が満たされていないストレスを抱えているからだと思います(心の専門家ではないので推測ですが)。

今の日本には、そういう人が大勢居て、それがネットの誹謗中傷や不祥事叩き、こういった事件につながっていると思います。
ただ、そう言う人でも、少し冷静になって「自分が攻撃的になっている」と自覚すれば、そういう衝動は抑えられると思います。
そう思える人はとても多いのではないかと思います。
誰しも自分が余裕をなくしていることには気付きにくいものです。
しかし、少し自分を俯瞰してみてみるとわかるものです。

他人のふり見て我がふり直せとは、よく言ったものです。
組織の中でも、そういう意識を持っていると解決することは多いと思います。