「心より」には、心がこもっているか?

「心よりお悔やみを申し上げます」
「心よりお詫び致します」
などと、お詫びを始め、お悔やみなどで「心より」が添えられる。
テレビはもちろん、SNSなどでも、素人がそのようなコメントを書いていたりする。
何か表面的というかウソくさい匂いがするのだ。
そのコメントがウソだとは思わないが、その思いの程度の問題についてである。

お悔やみやお詫びというものは、そもそも「心から」思うものであり、
そうでなければウソになる。
なのに、なぜ分かっているはずの「心から」を添えるのか。

「心から」をつけるのは、「ウソじゃないよ本当だよ?」というような気持ちの深さの保険としてつけているのではないか?

あるいは、心から思うのが当たり前のメッセージに「心から」を添えることによって、そのメッセージがウソ臭く聞こえてしまうと思う。

「心から」を添えるのは、そんなに深く考えていなくて慣習的につけていることが多いのだろうが、それはつまり、深い思いはないということだ。

親しい人の葬儀に伺って「心からお悔やみを申し上げます」と言うだろうか?普通に「お悔やみを申し上げます」ではないのか?

「心から」がつく場合は、テレビなど、より親しくない関係へ向けてのメッセージの場合だと思う。だからこそ、「ウソじゃないよ本当だよ?」のニュアンスがつくのではないか。

「心から」は、そのメッセージが「心から」ではないことを証明しているように思えるとうのは、解釈が歪みすぎているだろうか?

日本のその手の挨拶やコメントは、「人と同じように」を重んじる日本の文化性によって長年の間に慣習化されて、歪んできてしまっていると思う。

企業のお詫びにも現れている。