「分断」という言葉の危うさ。

近頃「分断」という言葉が、どちらかというと悪い意味でよく使われます。
ニュアンスとしては「対立」あるいは「孤立」に近いニュアンスです。
しかし、分断というのは状態を表しているだけです。分断されている状態というのは、悪い分断もあるでしょうが良い分断、良くも悪くもない分断もあります。

危ういのは、そのあたりの分断の理由が曖昧なまま何でも分断されていることが悪いことだというような風潮です。
分断されていて当たり前というものもあるでしょうし、お互いを認め合っている分断もあるはずです。
あるいは、多様化や細分化というのは、細かい分断があるということです。ダーバーシティ(多様性)が重視されているのに分断が悪いという風潮は矛盾しています。

発端は、トランプ政権の誕生かも知れません。アメリカ社会がホワイトカラーの成功者とブルーカラーの貧困層に分断されているという論調です。しかし、それは分断されていることが悪いのではなく、ハーバード大学教授のマイケルサンデルさんが指摘するように、「エリート層が、負け組を能力によって差別している」ということです。要するに、分断の片方がもう片方を差別しているということが問題なのであって、問題の本質は「差別」です。

マイケルサンデルさんは、「人種差別廃絶を叫ぶエリート層は、自分たちが能力によって負け組の人を差別していることを分かっていない」と言います。それによる怒りがトランプを支持したのだということです。

つまり分断が悪いのではなく、片方が片方を差別すると言うことが目に見えない形で起こっているからです。そこを意識していないと、「分断=悪」となると間違ってしまいます。多様な人が生きている社会、ましてや多様性を認める社会では、分断は必ず存在します。大事なのは、分断されたお互いが尊重し合うことです。

「分断」というテーマにであったら、何による分断で、どのような状況であるのかを把握することが重要だと思います。