商品レビューの信用性

WEBサイトの商品レビュー欄に故意に悪口を書くことが問題になっています。
Amazonなどでは、競合する業者が相手会社の商品を悪く書いたり、グルメサイトなどでは、ちょっとしたトラブルの腹いせに有りもしない話を書いたり・・・。

そういうものはごく一部のはずですが、そう言う面で、ネットのレビューというものは、ある程度のフィルターを通して見なければならないということです。
丹念に読むと、レビューのリアリティから真偽が推測できることが多いですが、問題なのは、そういうリテラシーがある人もいますが、ない人(意識していない人も含めて)も多いと言うことではないでしょうか。
素直にレビューを信じてしまう場合の方が多いのだと思います。

そういう悪意の書き込み以外でもネットの購入者レビューは基本的に誰が書いているかは分かりません。
初心者が書くのと熟練者が書くのでは感想が違うかも知れません。
それでもないよりある方が参考にはなるでしょう。

悪口ではなくても古くはコスメサイトで企業側がユーザーになりすまして自社製品を褒めると言うこともありましたし、タレントが金をもらってブログで褒めた製品が問題を起こしたり、サギ絡みだったり・・。

そういう面では、現物を手に取れる実店舗は、ネット販売にはない良さです。ただ、商品というのは店頭で手にとって分かるものばかりではありません。使ってみて初めて分かるものも多数あります。

そう考えると不確実性ばかりを気にしてしまいますが、どこまで行っても100%はあり得ないので、そういうある種バクチ的な要素も買い物の楽しみのひとつのはずです。

逆に考えると、Amazonの悪口レビューを見抜いて良い商品をゲットする快感というものもあるような気がします。

時代の予測と人間の法則

時代の変化が早くなっているというのはあちこちで言われますが、本当にどんどん速度を増していると感じます。
5年前に今ほどのスマホやネットサービス、キャッシュレスなどが予測できたでしょうか。
かつて経済成長の頃は、10年予測20年予測がなされ、大きくはそのようになってた部分があったでしょうが、それが次第にズレ始め、今では3年先の予測すらはずれます。
例え専門家であっても、誰も数年後のことも分からないのです。
アメリカのある調査では、専門家の予測は95%外れるという結果が出ています。
未来が不確実になると不安になります。何かに頼りたくて情報を探します。しかし、現実は誰も分からないわけですから、その情報もあてにならないわけです。
そういう時代だからこそ、まず自分で考え行動してみることが大事なのでしょう。

そのとき、留意したいのが、法則は変わらないことです。逆に言えば、変わらないのが法則です。人間という生き物は時代にくらべものにならないほど変化が遅いです。
そういう人間の法則やそれにまつわる物事の法則は変わりません。
価値を感じないことにはお金を払わないし、騙されたら怒ります。若手くれる人には好意を持ち、満足すれば喜びます。
それらの法則に忠実である限り、上手くいくはずなのです。

時代の変わり方。

世の中はいつも刻々と変わっているわけで、大きな節目ごとに「時代」という固まりとして認識されます。いろいろな視点からの「時代」があるので、それぞれに区分けやサイズも違うと思いますが、すべて感覚的なものです。
何かエポックメイキングな出来事をきっかけに世の中が何かの方向へ急激に向かい始めます。その出来事は、技術であったり政治であったり、事件であったり様々です。とはいえ、どの時代も基本的な社会の構造自体は、変わることがなく、決まった構造の上での変化でした。

しかし、約20年前にインターネットが普及しはじめ、ここ5年くらいでスマホが普及し、昔と何が一番変わったのかと言えば、いろいろなことが世界中で「共有」できるようになったことです。
以前なら、一部の人しか知れなかったこと、ブラックボックスになっていたことが、世界中で一瞬にして共有できるようになりました。
組織などが抑えようとしても、次第にその力が及ばなくなりつつあります。
要するに社会が「民主化」され始めていると言うことです。
ブロックチェーンという技術は、それをさらに流通にまで適用できるような技術で、それの応用が仮想通貨でもあります。
まだまだ投機的要素の強い仮想通貨ですが、安定した曉には、世界で初めての誰にも支配されない民主的な通貨になります。
一方で、今現在は、GAFAの力が誇大化し、人々にとっては、国よりも重要な存在にすらなりつつあります。各国よりも各国に利用者を持つAmazonやFacebookの方が、人々への影響力が強くなっています。

デジタル技術、ネット技術による変革は、社会の基本構造さえも変えつつあると言っても過言ではありません。

そういう意味で、今ほど時代が大きく変わろうとしている時代はないと言えるのかも知れません。

疑う力。

これからは不確実性の時代だと言われています。変化もどんどん早くなっています。多様化もしてます。今までのように理屈や経験則で何かを解決して行こうという発想がどんどん意味をなくしていると言われています。

従来のように理屈を積み上げて正解を出すということは、すなわち各社同じ正解によって動く問うことであり、同質化するということです。
「膨大な情報を分析して正解を出す」なら、人間よりAIの方がずっと早いです。AIはそのうち今より驚くほど低コストになります。

これからは新しい正解を出すのではなく、新しい世界を見つけることが重要です。それには、疑うことが重要です。人間は、慣れてしまって意味もなく信じて疑うことを忘れてしまいます。
しかし、当たり前になっていることを疑うことで、新しい世界の扉が開きます。

世間からバッシングの多い、元ZOZO創業者の前澤氏は、あるインタビューで「なぜ8時間労働を疑わないのですか?」と聞き手に問うていました。ほとんどの人が8時間労働を当たり前として何も疑問も持ちません。未だに多くの企業、いやほとんどの企業が8時間労働です。
はたしてそれは合理的なのでしょうか?8時間労働にムダはないのでしょうか?
現代の日本の企業は、8時間働くために意味もない仕事を増やしているとも言われます。

不感症になって、意識すらしない当たり前のことを疑ってみるところから新しい世界が見えるかも知れません。

働かせ方。

ツイターでで、ヤマザキパンのクリスマスケーキ売りの短期バイトに行った若者がヤマザキパンの王者の働かせ方に感心したという話が拡散されています。
彼は、年末か何かの短期バイトに行ったのですが、そこで指示されたことはひとつ、「販売数は問わないので、とにかく笑顔で気持ちの良い声で売ってくれ」ということだったと。それは「目の前のはした金より、長い目で見て意味があるのは『良いイメージ』であると。」

彼曰く「販売スキルもなく、教育する時間もない短期バイトを最大限に活用する働かせ方だ。さすが王者の風格」と分析していましたが、まさにそのとおりだと思います。

スキルも何もない若者が短期バイトで行っているのに、基本的にそんなに売れないだろうし、売ることを厳しく言われると困惑するし、萎縮するし、終いには嫌になってしまうかも知れません。

しかし、目先のことだけを考えてる企業なら、そうするかも知れません。
最後に彼はこう結びます。「少なくともその時の僕はここのために頑張ろうと思いましたよね。」こう思わせる効果もあります。

いささかできすぎた話にも思えますが、これはとても正しい話だと思いますし、働き方改革は仕組みだけでなくこういう活用の仕方こそ大事なのだと思います。

北陸で起こった大雪で国道に閉じ込められたときに、ドライバーの判断で積み荷のパンを配ったのもヤマザキパンでした。
企業の明解な美意識が、隅々まで浸透しているのでしょうね。

時代は、新たな人とのつながりへ。

老朽化したいわゆる団地をリノベーションし、若い世代を中心に幅広い世代に受けている団地があるそうです。

そこは、単に部屋をリノベーションしただけではなく、団地内にいろいろなコミュニケーションの場を設けています。保育園をはじめ、カフェや農園、芝生の原っぱ、コミュニティスペース、毎月のイベントなどなど。広い敷地にある団地ならでは施設です。
居住スペースも水回りはもちろん間取りも含めてモダンに改装。これでお手頃な家賃で住めると言うことで、人気があがり入居待ちが20数組いるとか。
若い人や子育て世代だけでなく、子供が独立した後の高齢者世帯もいるのでいろいろな世代の人がそれぞれのメリットで住まれているようです。

入居した人に良さを聞くと、一番の理由としてあげるのが、人との交流でした。いろいろなスペースで団地内の人と仲良くなれて楽しくて安心だということです。
とくに子育て世帯には、団地内に保育所があり、すぐ隣に交流できるカフェがあり、近所の人と話できたりして、まるで昭和の高度成長期の頃のような話をします。ちなみにそこの団地の交流施設には、団地以外の人も来るそうです。

高度成長期以降、嫁姑問題や個人主義などで「核家族化」が進み、その結果としての歪みもいろいろ生まれています。
近年には、子育て問題やひきこもり、貧困や孤独死など、人が個別に暮らすことの歪みはどんどん拡大しています。

災害等も経て最近になって、「人とのつながり」の重要性が再認識されていますね。本当はいつの時代も人は、誰かとつながっていたいはずです。問題などはつながり方なのではないのでしょうか。
SNSなども最近の「つながり」の代表格ですが、「つながり方」による弊害も生まれています。

どんな物事にも必ず良い面と悪い面がありますが、昔と違って、情報共有が盛んになった現代では、良い面とともに問題や課題も多くの人が共有できるようになっているので、個人レベルの認識は、昔よりかなり高くなったのではないでしょうか。

人間づきあいの良し悪しは、仕組みやルールもありますが、最後は個人の意識です。多くの人が、より高い意識を持てるようになった現代では、昔とはちがったつながり方で、暮らしが快適になるのではないかと思います。

そういった状況で、つながれるような商品やサービスを考えて行くと、社会に良い仕組みが生まれていくのでしょう。

コカコーラの低迷。

コカコーラが世界的に売れなくなっているそうです。

かつて清涼飲料水の王者であったコカコーラも、砂糖が嫌われ代替の甘味料を使うと「体に悪い」印象に成り、根本的に「カラダには決して良くない」というイメージになってしまっています。

コーラを飲んでいる人は「体に悪そうだけど、好きだからあえて飲む」(笑)くらいの意識で飲んでいそうです。
かつては、ファッションとしてコーラを飲むという気分が価値でしたが、その時代は過ぎました。

加えて、いまは清涼飲料水が多様化し選択肢が豊富になりました。ひとつの自販機の中にコーヒーだけで数種類あります。その中でのコカコーラはもう存在感自体が小さい。

大きな背景には、大昔からあr健康志向が「嗜好」ではなく「志向」として浸透してきたことになるのではないでしょうか。
今までは、健康志向を本当に実践しているのは一部の人達だけでしたが、昨今の健康志向は、暮らしの中から「変えていこう」とする意識が大衆にも浸透しているようです。健康を意識するのは当たり前になって来ています。

そういう視点でコカコーラを見ると、カラダに良いことはひとつもない(笑)そこで、コカコーラはカラダに良いイメージのコーヒーチェーンを買収したそうです。しかし、コーヒーも乱立しています。
ともすればコーヒーも健康被害に転じそうなものでもあります。

かつてコカコーラとペプシとのせめぎ合いは、コーラ戦争とも言われました。時代は、変わったものです。

今考える未来は正しいか?

90年代のバブル崩壊に見られるように、例え専門家であっても先の真実は分からないのです。作家の故橋本治は「哀しいことに、未来というものは、『現在の少し前まで』を材料にしてシミュレイトされることが多い。だからそのシミュレイションは、あまり役に立たない。変わる現実はすぐ変わるから」と書いています。

人口減少が現実に始まり、都内の空き室率33%と言われてもまだ、マンションは増えています。今まで以上に大きく変化しそうな時ですが、多くの人や企業が相変わらず従来の感覚から抜け出せないように感じます。

ひょっとしたら今、荒唐無稽と言われているような未来が本当は正しいのかも知れません。メディアで多数派のことは間違っているかも知れません。
実際バブルの時がそうでした。今こそ、少数の意見に耳を傾けなければいけないのかも知れません。

「自分が考えていることは正しいのか?」「従来的な思考にとらわれていないか?」という問題意識を常に持っていないといけないですね。
人間は、そういうものだから。

幸せ観の再定義?

破竹の勢いで成長した人気飲食チェーンの成長が鈍化、低迷しているというニュースが流れ、その原因はというと、案外単純で、マーケットが飽和状態になっているといいます。
企業は、今までのマーケットの感覚の加速度で成長イメージを描いていたけれど、実際はもっとブレーキがかかるということではないでしょうか。これから、こういったズレはいろいろなところで出てくるのではないかと思います。

人間はどうしても過去の感覚にとらわれてしまいます。住宅の分野でも数年前から供給過剰といわれ、都内でさえ賃貸の空き室率が33%だと言われながらも都市部ではあちこちでマンションが建設され、数年後が懸念されています。
ブレーキのかかる情報が充分出ているのになかなかブレーキを掛けることができません。人間は、まだいけるのではないかと思うからです。
しかし、若い世代では、過去の経験がないからか、そう言う時代に素直に素朴に向き合う人がでてきています。

「売上を、減らそう。」という本で話題になった飲食店の経営者は、象徴的です。この例だけでなく、大阪の「好きなときに出勤して良いエビ加工工場」や「嫌いなことはしなくて良い」というZOZO。古いところでは「ホウレンソウ」を禁止した未来工業。
人口減少と直接関係があるわけではありませんが、要するに発想の転換というか、過去の経験にしばられないというじなやかさです。

成長して売上をあげて給料を上げて、その先に幸せな人生があったのか?という問いをなげかけているのではないでしょうか。
今までの「幸せ観」自体が形骸化したイメージなのではないのでしょうか。これからの企業の在り方も「幸せ観」自体を再定義していかないといけないのではないかと思います。

「キャッシュレスは定着するか?」とは???

未だに「キャッシュレスは定着するか?」的な記事が見られていろいろな分析がされていますが、「キャッシュレス」は定着するしないではなく、どれくらいで普及するかなのです。普及しないわけがないのです。
「日本人は現金崇拝だから」などと言われますが、そういった意識も利便性の前には吹き飛んでしまいます。まだ、良く理解されていない、慣れていないだけです。

キャッシュレスと現金とを比較すると、どう考えてもキャッシュレスの方がメリットが大きい。現金を扱うがためのセキュリティ費用やレジ管理の人件費など、現金であるためのコストは膨大です。これらのコストがなくなるのだから、特に大企業はなんとか導入して普及させようとします。大企業が導入していくと、利用者もキャッシュレスを安心して使い始め、慣れていきます。

インターネット黎明期にも同じようなことが言われました。しかし、インターネットは、かつてない利便性により社会インフラ化しています。いまや多くのサービスがネットを前提に考えられるようになりました。

ビットコインなどで知られるブロックチェーンによるデジタル通貨も、同様なことが言われていますが、どこかでブレイクスルーが起こり、安心材料が生まれ、加速度的に普及していくはずです。メリットが計り知れません。

多くの新しい仕組みは、みんなが使っていないか不便だったり不安だったり、そういう精神的な理由がハードルになっていると思います。
「分からないから」なので「分かった」ら、一気に普及し始めるはずです。