コカコーラの低迷。

コカコーラが世界的に売れなくなっているそうです。

かつて清涼飲料水の王者であったコカコーラも、砂糖が嫌われ代替の甘味料を使うと「体に悪い」印象に成り、根本的に「カラダには決して良くない」というイメージになってしまっています。

コーラを飲んでいる人は「体に悪そうだけど、好きだからあえて飲む」(笑)くらいの意識で飲んでいそうです。
かつては、ファッションとしてコーラを飲むという気分が価値でしたが、その時代は過ぎました。

加えて、いまは清涼飲料水が多様化し選択肢が豊富になりました。ひとつの自販機の中にコーヒーだけで数種類あります。その中でのコカコーラはもう存在感自体が小さい。

大きな背景には、大昔からあr健康志向が「嗜好」ではなく「志向」として浸透してきたことになるのではないでしょうか。
今までは、健康志向を本当に実践しているのは一部の人達だけでしたが、昨今の健康志向は、暮らしの中から「変えていこう」とする意識が大衆にも浸透しているようです。健康を意識するのは当たり前になって来ています。

そういう視点でコカコーラを見ると、カラダに良いことはひとつもない(笑)そこで、コカコーラはカラダに良いイメージのコーヒーチェーンを買収したそうです。しかし、コーヒーも乱立しています。
ともすればコーヒーも健康被害に転じそうなものでもあります。

かつてコカコーラとペプシとのせめぎ合いは、コーラ戦争とも言われました。時代は、変わったものです。

SNSの時代だからこそのWEB。

facebookにインスタ、ツイッターなどSNSばやりで、店舗や施設を持つ業態のを持つ事業者が情報発信に使っていると思いますが、それがあるが故に意外とWEBをお持ちでない事業者は多かったりします。
この時代、WEBを持つのは基本だろうと思いきや、作ってもらうとなると費用がかかります。
それなら無料でできるSNSで充分ということになります。実際、そういう業態ではSNSをうまく使うと十分な情報発信ができます。

しかし、困ったことにお客さまは様々なSNSを使っていて、また連携していないSNSもあります。例えばfacebookやmixiとインスタは連携しているけど、Twitterはしていなとか。
そうなるとTwitterだけで発信しているとインスタユーザーには届きにくいとか、その逆もありでやっかいです。
また、SNSは基本的にフロー情報なのでどんどん流れていってしまいます。ひとつひとつの情報は短冊的です。

そういう時に情報発信のベースとしてのWEBの存在が便利で効果もあります。ワードプレスなどを使ったWEBでは、WEB上に各SNSを表示することができるので、WEBにさえ来てもらえば、すべての情報を見ることができるし、逆に言えばSNSでWEBの存在を拡散して呼び込めば、まとまった情報を見てもらえるのです。

実際、SNSで発信されている飲食店などは、SNS、食べログ、その他情報が分散していて不便を感じられているケースもあります。SNSの時代だからこそWEBが便利なのです。

当事務所では、機能や要素を整理し、ワードプレスによるWEBをロープライスで導入できるサービスをご提供しています。

変化する商環境の中で素朴な視点をもつ。

一時は、世界を席巻したForever21の経営危機が報じられ、Dean&Delucaは、本国ではビジネスの継続すらあやぶまれているそうです(日本は好調)。

米国では、ダイヤモンド業界が縮小しているそうです。原因は主たる購入者である結婚適齢期の世代の意識の変化だそうで、ダイヤモンドという商品の売られ方(自分の好きな時に好きなように買うことができない)、価格性、製造背景など、従来なら何の疑いも持たれなかった事への違和感や世代意識とのズレが生まれているとか。そしてそもそも「ダイヤモンドの結婚指輪を贈る」という習慣そのものがkずれつつあるらしいです。
背景には、ネットコンシャスな世代感覚や合成ダイヤモンドのコストダウンと台頭、などいろいろな要因があるようですが、ネット先進国、マーケティング先進国の米国でせ、古い業界体質から転換できずにいたということなのでしょうか。

商環境は、めまぐるしく変わりますね。しかも、そのスピードに加速度がついているような気がします。今は好調な商売でも、気を抜くとあっという間にお客さんがいなくなってしまいそうです。

昔と違って、販売方法、決済方法、製造方法など、商品のアイデアだけでなく商売を構成する要素のスタイルがとても多様化しています。
便利になった分、選び間違うとずれてしまうと言うリスクもあります。

基本は、お客さんが望むモノを望む価格と望む方法で、そして特に今は、ウソ偽りなく提供することだと思います。
洪水のような情報に絡め取られそうになったら、素朴な視点に戻ることが大切なのだと思います。

思い込みの点検。

人間はすぐに思い込んでしまいます。
状況が変わっていても少し前の成功体験が継続すると思ってしまいます。

しかし、実際は違っていたりします。
大手ファミリーレストランチェーンが、24時間営業をやめたら(徐々にやめていったそうです)、7億程度の赤字がでるだろうと予想していたら、逆に7億円の黒字になったそうです。理由は、従業員の意欲や配置が良くなってサービスが充実したとかが大きな理由だそうです。

そもそも、深夜営業をやめたのは、深夜のお客さんが減ったからで、背景にはSNSなどの発達で居ながらにして夜にコミュニケーションをとることができるようになり、「深夜にファミレスに集まって〜」という必要がなくなったという需要の変化があるようです。

これはコンビニでも同じことが言えます。だから、「深夜に開けていないと売上が下がる」はもう過去のことで、「開けていてもさほど売上はあがらない」だろうし「従業員確保が難しい」上に「開けていると赤字になる」という状況なのだと言うことですね。

また、深夜に行っていたお客さんも深夜にしかいけないとうことではなく、開いていくから行くという人もいたはずです。多くの人は営業時間が限られていれば、それに合わせて行くでしょう。
「深夜に開けていなければ」売上が下がるというのは、過去を土台にした思い込みだった、環境はもう変化しているということですね。

大昔ですが、アメリカの通販が「いかなる理由でも返品OK」を打ち出しました。いっぱい返品されそうで怖くなりますが、実際の返品率は1%にも満たないそうで、返品のコストより、「いかなる理由でも返品OK」による安心感(=信頼感)の獲得の方がよほど大きいと言うことでした。「簡単に返品されるリスク」は思い込みで、予想外のメリットが大きかったということです。

「お正月に店を閉めるとライバル店に客を取られる」とか「いつも開いていることがサービスだ」とかお店側は思いますが、利用する側は状況に合わせて考えるし、基本的に良いサービスをしているとお店の事情に合わせて利用してくれるということなのではないでしょうか。
冒頭のファミレスの「従業員が楽になってサービスが充実した結果、売上が伸びた」というのは、そういうことなのでしょう。

過去の成功例を土台にした思い込みは一旦棚に上げて、状況を鑑みて考えることが大切なのだと思います。

マーケットの拡大縮小の性質。

昔からマーケットの広がりは、まずイノベーターと呼ばれる先行層(新しもの好き、感覚が新しい、情報力がある等等)が購入し、世間に知られるように成り、それが「良い」と認識されると、大衆が「私も」マネをして購入し始めボリュームになっていきます。
この法則は、人間の特性だと思いますので、古今東西変わりません。
商品によって状況が異なるので、一概に言えませんが、多くは、ボリューム化すると大手企業が参入し、価格競争になります。(マーケットサイズにもよりますが)最初に売っていたのが小さな企業であれば、早めに撤退した方が安全です。ボリュームが増えて価格が下がると言うことは、基本的には薄利多売になるということです。

さて、人口減少が始まった国内で、これから薄利多売のビジネスモデルは、リスクが大きくなるはずです。
なくなるわけではありませんが、損益の分かれるボリュームを超えられないマーケットが出てくるのでないでしょうか。

時代を遡って考えると、大昔に単価が高かったのに、ある時期単価が劇的に下がった商品があると思います。
もちろん、製造方法などに改革があったことも要因ですが、ボリュームを売ることで(売ることが出来るようになったことで)、利益が得られるようになったためです。ファッションやインテリアなど、生活必需品ではなく、生活充実品です。豊かになって、今までは、それほどファッションやインテリアに気を遣わなくなった人も、そこに消費をするようになりました。

「レトロ感覚のインテリア」「北欧風の家具」「アジアンリゾート風」みたいな本来一部の趣味的なテイストであるものもメディアで紹介されることでボリューム化していったのは、よく考えると不思議でもあります。

しかし、マーケットが縮小してくると、シェアが上位の商品(企業)以外は採算が取れなくなるはずです。必要なボリュームを確保できなくなるからです。それはつまり、商品の選択肢(一般市場として)も少なくなると言うことです。そうなると、こういった趣味性の世界は広がりがなくなり、趣味性の高いお店まで行って探すほどではない一般消費者は興味がなくなります。
そうなるとボリュームはさらに小さくなり、シェア上位の商品ですら成立しにくくなります。

こういたことが、今後はあちこちで起こってくるのではないでしょうか。

今考える未来は正しいか?

90年代のバブル崩壊に見られるように、例え専門家であっても先の真実は分からないのです。作家の故橋本治は「哀しいことに、未来というものは、『現在の少し前まで』を材料にしてシミュレイトされることが多い。だからそのシミュレイションは、あまり役に立たない。変わる現実はすぐ変わるから」と書いています。

人口減少が現実に始まり、都内の空き室率33%と言われてもまだ、マンションは増えています。今まで以上に大きく変化しそうな時ですが、多くの人や企業が相変わらず従来の感覚から抜け出せないように感じます。

ひょっとしたら今、荒唐無稽と言われているような未来が本当は正しいのかも知れません。メディアで多数派のことは間違っているかも知れません。
実際バブルの時がそうでした。今こそ、少数の意見に耳を傾けなければいけないのかも知れません。

「自分が考えていることは正しいのか?」「従来的な思考にとらわれていないか?」という問題意識を常に持っていないといけないですね。
人間は、そういうものだから。

幸せ観の再定義?

破竹の勢いで成長した人気飲食チェーンの成長が鈍化、低迷しているというニュースが流れ、その原因はというと、案外単純で、マーケットが飽和状態になっているといいます。
企業は、今までのマーケットの感覚の加速度で成長イメージを描いていたけれど、実際はもっとブレーキがかかるということではないでしょうか。これから、こういったズレはいろいろなところで出てくるのではないかと思います。

人間はどうしても過去の感覚にとらわれてしまいます。住宅の分野でも数年前から供給過剰といわれ、都内でさえ賃貸の空き室率が33%だと言われながらも都市部ではあちこちでマンションが建設され、数年後が懸念されています。
ブレーキのかかる情報が充分出ているのになかなかブレーキを掛けることができません。人間は、まだいけるのではないかと思うからです。
しかし、若い世代では、過去の経験がないからか、そう言う時代に素直に素朴に向き合う人がでてきています。

「売上を、減らそう。」という本で話題になった飲食店の経営者は、象徴的です。この例だけでなく、大阪の「好きなときに出勤して良いエビ加工工場」や「嫌いなことはしなくて良い」というZOZO。古いところでは「ホウレンソウ」を禁止した未来工業。
人口減少と直接関係があるわけではありませんが、要するに発想の転換というか、過去の経験にしばられないというじなやかさです。

成長して売上をあげて給料を上げて、その先に幸せな人生があったのか?という問いをなげかけているのではないでしょうか。
今までの「幸せ観」自体が形骸化したイメージなのではないのでしょうか。これからの企業の在り方も「幸せ観」自体を再定義していかないといけないのではないかと思います。

人の感覚はいい加減。だから演出が重要。

TVでときどきやっている「芸能人格付け」は、芸能人が安いワインと高いワインを飲んで当てるというような比較クイズをやって外れるとランクを落とされるというゲームですが、ことごとく外れます(笑)
TV番組なので多分に演出は入っているでしょうが、実際人の感覚はあてにならないものです。
警察などでも「青いクルマだった」という目撃証言が実際は赤だったというようなことがあるというのは有名な話です。

ひと頃、百貨店がブランドエビを使用しているとしていた料理が実は普通のエビだったという詐称疑惑がニュースになりましたが、実際、それを食べたお客さんで気づいた人はいなかったはずです。
普通のエビもブランドエビ並みに美味しかったワケです。というか、美味しいと思い込んで食べるので、よほどの違和感がない限り美味しいわけです。

人間のこういった感覚はとてもいい加減です。決定的な差があるもの以外は、なんの情報もなく味わっても分からないのです。多くは事前の情報によって、美味いとか良いとか思い込んで味わうわけです。

情報とは、演出です。何らかの付帯情報を加えることで「良く見せる」。人間は初めて買うモノについては「良さそうに見える」から買います。

悪く言えば、「上手いこと言ってその気にさせて買わせる」とも言えますが、成熟市場におけるマーケティングはまさにそのものです。そのまま並べているだけでは売れないので、あの手この手で「その気になるような」演出を行います。

悪いことをしているようにも聞こえますが、商売というのは、昔からそういう面があります。有名な平賀源内の「土用の丑の日にはうなぎ」などは、最たるものです。

多くのマーケットが成熟化している現代では、この「見せ方」がとても重要になっているわけですが、意外にも、商品作りに熱心なメーカーほど、この「見せ方」についての意識が薄かったりします。

こだわりVS分かりやすさ

ちょっとこだわりがあるような雰囲気の良い飲食店に入って、ご飯を食べようとメニューを見るとたくさん書いてあって、しかも良く分からない言葉が並んでいて、何をどう注文したら良いか分からない事があります。
お店の人を呼んで聞くことができるときは良いのですが、忙しそうにされていて、声を掛けにくかったり、なかなか来てもらえなかったり。その間、メニューを片手にぼんやり。混んでるときなどは、あきらめて店を出たこともありました。そういうときに、「初めての方におすすめメニュー」として数点のメニューがかいてあると安心してそれを憂悶するのです。
リピーターや詳しい人には、こだわりのメニューは嬉しいでしょうが、よく知らない初心者には、無用の長物です。
分かりやすくて注文しやすいメニューが欲しいのです。結果的においしければ、また来るでしょう。そうしていると詳しいメニューも分かるようになります。
一般的にたとえこだわりのお店であっても、飲食店に来る客の9割は味にこだわらないと言われます。おいしければ良いということです。
ファッションも同じです。ユニクロの柳井さんは、9割の人はファッションこだわらないと言っています。
いろいろな分野で同様の法則があるのではないでしょうか。

そういうボリュームの人達は、分かりやすくておいしい、楽しい、カッコイイというのが良いのです。
ただし、お店のカラーを作るのは、残りの1割のお客さんですが。

MBA型マーケティング思考の落とし穴。

マーケティングというのは、商売を科学的に考えることです。科学的とはつまり、解析して理論を組み立て、それを適用して「正しい答え」を出すことです。つまり、極端に言えば同業同環境のマーケットにいる業者はみんな同じ答えで動いてしまうと言うことです。「差別化」しなければいけないのに同じ答えを土台にするから骨格の部分が似てきます。
ここにMBA型の限界があると言われています。

世界のトップ企業では、MBA型から脱却するためのアート思考、美意識の鍛錬が重視されています。アップルが「マーケットリサーチはしない」と言っているに代表されるようにGAFAの企業の活動が象徴的です。彼らは、美意識や才能ある人の思い込みなどを重視してマーケティングを展開しています。

こういったことは、企業の規模は関係ないと思います。むしろ、日本的思考からすると大きい企業ほどMBA型です。そこに現状の日本の大企業の弱さがあるのかも知れません。
日本ではよく、「事例はあるのか」と言われますが、事例があると言うことはもう他社がやって成功していると言うことです。そこに乗り込んでいくほどバカなことはありません。
他社と違う新しいことをしようと思えば、事例などないはずです。サントリーの創業者の有名な言葉として「やってみなはれ」がありますが、やってみてだめなところを調整していって自社独特の手法ができていくのです。昭和の創業者は、独創的だったのですね。