甘酸っぱい話。 :「メガネザルの恋」

かなり久しぶりにめがねをつくりました。

元々、超ド近眼でずっとコンタクトレンズなのですが、
よる歳には勝てず、老眼が来ていました。

普通は遠近両用とかをつくるのでしょうが、
不便そうなので、コンタクトを近くに合わせ、
遠くをめがねで見るようにしました。

普段は、圧倒的に近くを見ることが多いし、
仕事でパソコンに向かうことが多いので。
近くに合わせると言っても、普通には見えるので
車の運転をしない限り問題ないのですが、
見えていたモノが見えにくいというのもいやなので、
外を歩くときにはめがねをかけることに。

今でこそメガネはお洒落アイテムですが、
昔は、おじさんメガネしかなく、メガネはルックス的には
負のアイテムでした。

中学生の頃、めがねを掛けていたのですが、
当時の神戸市の中学の男子は、詰め襟に丸坊主。
まるで軍隊の訓練生。
そのころは、丸坊主がお洒落という概念は微塵もありません。
その状況で、普通のおじさんめがねをかけると、
もうなんというか人格を奪われてしまうような
様相になります。まさに軍隊。

しかも、当時はめがねをかけている人は総称して
「めがねざる」なんて言われる風潮があり、すっかりめげてしまいます。
なぜ十把一絡げにするのか、それぞれに個性や主張はあるのだなんて、
今は思いますが、当時はとにかく負け犬状態。

それになんで「メガネザル」。誰が言い出したのか知りませんが、
うまいこと言います。
言えているだけに、自分でも肯定してしまうところがあり、
余計にメガネザルに陥ってしまいます。
何も知らないメガネザルは、負の象徴にされて可哀想ですね。
それにこの「ざる」は、笊(ザル)を想像し、
ドジョウすくい踊りをも想像され、
どう考えても情けないイメージしかでてきません。

当時は、本当に、めがねをかけるだけで、
なぜこんな差別を受けなければならないのかという気がしました。

女の子にモテるとかモテないとか、そういう次元にもいません。
「めがねざる」には恋は無縁。そんな暗示にかかってしまいます。
でも、好きな子はいたのです。
めがねのおかげで、そういう暗くて歪んだ
コンプレックスをねじ込まれた3年間でした。

高校生になってコンタクトレンズにした時には、
丸坊主から解放されたこともあって一気に世界が開ける気分でした。

いやいや、今は良い時代です。