まじめな話 。:「大勢で住もう」

2010年12月26日の朝日新聞に、
軽自動車の中でなくなられた 一人暮らしの男性の話が載っていた。
3ヶ月も公園に放置されて発見されなかった。
独居老人のことかと思ったらまだ55歳だった。

記者が経緯を取材していたが、
様々な流れで身内との縁が薄くなってしまった。
4人兄弟なのに。
いろいろな背景があるのだろうけど、
なんとかならなかったのだろうかと思う。

最近、こういう事実が多く表面化してきているが、
よく言われているように核家族化が一番の原因だろう。

個人を大切にとしてきた結果、個の力が弱くなった人にしわ寄せがくる。
大勢で暮らせば、弱い個も救済される。

格差社会の今は、力のある個は、必要以上に富を享受し、
弱い個は、必要以上にたたき落とされる。
自由競争の社会の末路が見えてきた感じがする。

必要以上に富を得た力のある個が、弱い個を助ければ良いと思うが、
力のある個の中で本当に助け合い精神を持つのは、ほんのひとつまみなんだろう。
強い個は、それなりの努力によって勝ち抜いてきた経緯を
何らかのカタチで評価したいと思う。
それが富を所有することで完結する。
やがてその富が、彼らの満足度を越す頃から、 社会へ還元したいと思い始めるが、
そのラインが、人によって異なると思うが、総じて高いのかも知れない。

人間は、他人を優位差別化したい動物だ。
その欲求は、必要以上に自分を評価するに違いない。
仮に資産が10億あれば一生安心して生きていけるとしたら、
10億以上はすべて何らかのカタチで公(ここが問題ではあるが)に供出して、
共有すれば、仕方なく陥ってしまった弱い個を救済できるのではないか。
10億以上の資産家など山ほどいるだろう。
しかし、現実は、そのような資産は、強い個が自分のために使う。

ただし、一方で、弱い個にも仕方なくなってしまった場合と
本人が責められるべき理由があってなってしまった場合があるとは思う。
それらを一様に救うのは不公平だという見方もある。
難しい問題と思うが、それを言っていると永遠に解決しない。

強い個は、強く生きられたことに感謝し、
自ら責められる状況をつくってしまうある意味哀れな弱い個も含めて
救済するという 精神が生まれないものか。

阪神大震災の時に、
「被災補償金のようなものを配布する際に、
不正受給をする人が必ずいるがそれは少数派であり、
その少数派にこだわっていては、
多数の必要な人を救えないので目をつぶる」
というようなことを聞いたが、
とても賢明な判断だと思った。

有名作家が「環境破壊は、世界の社長さんたちに、『必要以上は
儲けないでおこう』なんて考えるいい人がいないからだ」
という意味のことを書いていたが、まさに同じことだと思う。

しかし、こういった思想を変えるのは並大抵なことではない。
何かのとんでもないきっかけがないと変わらない。
東日本大震災によって少しは変わるかも知れないが時間はかかる。

それからすると、最初の話で、大勢で住めば、
その中で力のある個は弱い個を助けるということが、
比較的簡単に行われるのではないか。
これは、弱い個やその周辺の人たちが少し考え方を変えることで、
実現する場合も多いのではないか。
そういうことが、江戸時代には行われていたと
田中優子さんの本にも書いてあった。

人は一人では生きてゆけないなんて大昔から歌われているのに
一人で寂しく死んでいく人が大勢いる。

ただ、寂しく死んでも、楽しく死んでも、
結局は、死ぬんだけれど。